◆武田流門松のお話。
最近の一般家庭では、ほとんど見かける事が少なくなったお正月の『門松』に『武田流門松』というのがあるのをご存知でしょうか?。
一般的な門松の竹は「ソギ」といわれる斜めの切り口で、その切り口が笑った顔のように見え『笑門来福』と縁起を担いだりしますが、山梨県の門松の竹は「寸胴」といわれる竹を真横に切った姿で、そして松の上に高くた竹を飾り付けるのが特徴です。
門松の歴史は古く、平安時代から鎌倉時代にかけて普及したといわれています。現在の「竹と松の門松」は戦国時代からで、考案したのは松平家(後の徳川家)だといわれています。門松の松は松平家(徳川家康)、竹は武田家(武田信玄)を意味しています。徳川家康が生涯唯一の敗北「三方ヶ原の戦い」の後の正月、武田信玄は家康に書状を送ります。
『松枯れて たぐひなき あしたかな』
※戦に負けた松平家は衰退し、我が武田家はさらなる栄華を手にするであろう。これに激怒した家康は、竹を持って来させ、信玄の首を落とすように斜めに切り、松を周りに高く飾り付けた「門松」を信玄にか送った。
『松枯れで たけだ首なき あしたかな』
※松は枯れることなく、必ずや武田の首を落とし、そして松平家はその屍を乗り越えて繁栄することであろう。と返書したというエピソードが残っています。
上の写真は、山梨の菓子・信玄餅の桔梗屋さんの玄関に飾られた門松で、他に武田神社(躑躅ケ崎館)や恵林寺で見ることが出来ます。