◆富士山の宝永噴火の前兆現象???。
江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)東海道沖から南海道沖を震源とする震度七クラスの巨大地震があった。その49日後の宝永4年11月23日(1707年12月16日)に富士山の大噴火があり、現在の富士山南東側にある宝永火口が出現した。
江戸時代の大道寺友山重祐(1639〜1730)という兵学者が享保12年(1727)に著された「落穂雑談一言集」(東京都公文書館蔵)は、江戸初期の政治・経済・社会・文化等の各分野の事始め的なものが随筆風に書かれている。
その中に次のような面白い話が書かれている。
『富士山の東の裾野の御厨(みくりや)というところに「浄光寺」という小さなお寺があった。噴火のはじまる11月23日の前日の夜半過ぎ、この寺の和尚さんは、なにやら人が数百人も通り過ぎるような物音を聞いた。不思議に思った和尚さんが、垣根のあいだから外をのぞくと、幾万という獣が富士山の方から甲斐国を目指して走り過ぎていくのが見えた。
夜が明けようとするころまだ獣の列は続いている。よく見ると日頃見かけない動物もたくさん混じっている。さらに2時間ほどすると、さすがに通り過ぎる獣もまばらになった。富士山中の獣が脱出したかと思われるころ、身の丈一丈(3m)もあろうかという熊のような動物が出てきた。背中に日本の角があり、体中に眼がある。眼光が鋭い。獣の総元締めと見えて人間のように二本足で立ち、手を広げて他の獣を追い立てるようにして通り過ぎて行った。変だなあと思っていると、まもなく富士山の噴火がはじまった。富士山の主であるという。』
火山の噴火の直前に、沢山の動物がその山域から群れを成して脱出するという話は、いくつかの例が知られているので、この話も事実に基ずくものかもしれない。