冨士エコツアー・サービスのガイドコース (全6コース)

2018年01月15日

◆大相撲初場所 幕内竜電初日飾る

◆山梨県出身の期待の力士・竜電


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2018115日の地元紙・山梨日日新聞の一面トップ記事は、写真のように大相撲の初場所の初日に地元出身力士・竜電が初日に勝ったという記事が一面トップを飾った。


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山梨県の郷土力士として30年ぶりに新入幕を果たした甲府市出身の竜電は、角界入り後、順当に出世して十両まで上がり関取の座を射止めた。だが、直後に再起不能といわれた大怪我に見舞われ、番付はどん底へ。それでも自らを奮い立たせて治療、稽古に励む中で心技体に磨きをかけ、見事、復活を果たした苦労人。


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 四股名(しこな)のルーツとなった江戸時代の伝説力士・雷電のように、後世に語り継がれる力士になって欲しいとの願いからと言われる。山梨県の地元力士と云えば、戦前に活躍した富士ケ嶽(のちの若港)を始めとして、「富士」の四股名を全国にとどろかせたのが、幕内優勝をした押し相撲の富士錦。小結まで昇進した富士錦を慕って、山梨から入門する力士が続き、ほとんどが「富士」を用いた。(富士晃、富士昇、富士桜など)。意外にも、同じく富士山を擁する静岡県出身には力士が少ない。


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2018年01月04日

◆一富士 二鷹 三茄子

◆「一富士二鷹三茄子」ルーツは三保にあり!?
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2018年正月の2日にNHK「ブラタモリ・初夢スペシャル」の番組があった。テーマが「一富士二鷹三茄子」のルーツは三保にあり!?として三保の松原が「一富士二鷹三茄子」の発祥だと決めつけていた。
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『一が富士山』で、二が『足高山(愛鷹山)』、三が『折戸茄子』だとしていた。一番が富士山は納得します。しかし二番目に高い山が足高山か? 三番目の折戸茄子の値が高いというのも天下の家康らしくない。
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この他の説としては、
@徳川家康の好物を並べた。一に富士山、二に鷹狩り、三に好物の初物の茄子。
A富士⇒「無事」、鷹⇒「高い」、茄子⇒「成す」に懸けた言葉遊びとする説。
B冨士は日本一の山、鷹は賢くて強い鳥、茄子は「成す」に通じるとする説。
C江戸の駒込富士神社に由来するとする説。
  駒込の富士神社の周辺に鷹匠屋敷があり、名産品として駒込茄子があった。
D日本三大仇討ちに由来するという説。
  富士は「曽我兄弟の仇討」(富士の裾野)、鷹は忠臣蔵(主君浅野家の紋所が鷹の羽)、
  茄子は「鍵屋の辻の決闘」(伊賀の名産品が茄子)などなどの諸説あります。
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また、この「一富士二鷹三茄子」には続きがあり、『四扇(しおおぎ)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(六ざとう)』となりますが、この話はまた後日

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2018年01月02日

◆ダイヤモンド富士とパール富士

◆2018年元日のダイヤモンド富士の初日の出とパール富士
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 2018年の元旦は、朝6時から「富士山と初日の出」のテレビ中継を民放各局から放送されていました。こちら富士河口湖町の富士ケ嶺地区では、毎年、上のような『ダイヤモンド富士』の初日の出が拝めます。
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 今年は偶然にも今日2日が満月で、元日の朝の『ダイヤモンド富士』を撮影し、夕方は『パール富士』の撮影が出来るという大変珍しいチャンスに恵まれました。日没後の夕方5時20分でしたから、私の安物のデジカメでの夜景モードで撮影は、大変画面が荒れて月の形が上手く映りませんでした。
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 ダイヤモンド富士は、毎年同じ場所から同じ時間に姿を表しますので、比較的撮影は簡単ですが、パール富士は4年に一回しか同じ場所に現れません。又、昼間は明るすぎて月が写りません。夜は暗くて富士山が写りません。満月が夕方のタイミングに富士山の山頂に現れる日しか撮ることが出来ない貴重な瞬間です。2年前に「田貫湖」で撮影したパール富士の写真が上と下の写真になります。スマホでも撮影できますから、どうぞ皆さま、カメラを持ってお越し下さい。
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天気が悪くては現れませんが、明るくても、暗くても、撮影のできない難しい被写体です。
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2018年01月01日

あけましておめでとうございます。

武田流門松のお話


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最近の一般家庭では、ほとんど見かける事が少なくなったお正月の『門松』に『武田流門松』というのがあるのをご存知でしょうか?。

門松3.jpg一般的な門松の竹は「ソギ」といわれる斜めの切り口で、その切り口が笑った顔のように見え『笑門来福』と縁起を担いだりしますが、山梨県の門松の竹は「寸胴」といわれる竹を真横に切った姿で、そして松の上に高くた竹を飾り付けるのが特徴です。


 門松の歴史は古く、平安時代から鎌倉時代にかけて普及したといわれています。現在の「竹と松の門松」は戦国時代からで、考案したのは松平家(後の徳川家)だといわれています。門松の松は松平家(徳川家康)、竹は武田家(武田信玄)を意味しています。徳川家康が生涯唯一の敗北「三方ヶ原の戦い」の後の正月、武田信玄は家康に書状を送ります。

『松枯れて たぐひなき あしたかな』


※戦に負けた松平家は衰退し、我が武田家はさらなる栄華を手にするであろう。これに激怒した家康は、竹を持って来させ、信玄の首を落とすように斜めに切り、松を周りに高く飾り付けた「門松」を信玄にか送った。


『松枯れで たけだ首なき あしたかな』


※松は枯れることなく、必ずや武田の首を落とし、そして松平家はその屍を乗り越えて繁栄することであろう。と返書したというエピソードが残っています。


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上の写真は、山梨の菓子・信玄餅の桔梗屋さんの玄関に飾られた門松で、他に武田神社(躑躅ケ崎館)や恵林寺で見ることが出来ます。

posted by スタッフ at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 富士山面白話